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コラム:ネットマナーを考える100の質問 | コラム:マナーを通したコミュニティ論  

マナーを通したコミュニティ論
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  現在、インターネットは、様々な人種・国・思想の人に活用されています。
  インターネットの理想としては、全ての人がインターネットにおけるすべてのデータを閲覧・活用することなのでしょうが(リンク、フリー?参照)、実際には閲覧そのものすら規制をする場合があります。1番有名なところでは、外国からの無断転載を防ぐため.htaccessなどの処置を施すことです。また、身近なところでは、会社や学校であまり関係のないページの閲覧ができないようフィルタリングがされたりする。あれも閲覧規制ではないでしょうか。
  規制自体が悪いかどうかはともかく、「インターネットは閲覧規制が可能であり、それを実行することもできる」のです。





 ・・・と、規制の話から入りましたが、今回は規制の話ではなく、コミュニティの話です。
 コミュニティは「共同体、共同社会」という意味で、最近は行政方面で「地域コミュニティ」などと叫ばれていたりしますよね。昔ですと「隣組」「近所(近辺という意味ではなく社会単位としての)」などと呼ばれるでしょうか。
 コミュニティには大小ありまして、今のところ一番大きいコミュニティ単位は地球、そのほかは大陸、文化圏、宗教圏、民族圏、国などですかね。小さいものですと個人単位の付き合い、家族、親族、学校、会社、村落、地位、階級、市町村、県や地方や州といった地方自治体など。
 最近ですと、あるサービスを利用する方々のコミュニティ(というか、サービス名が「○○コミュニティ」:笑)、ある理念に集ったコミュニティ(大きいものが宗教です)なども見受けられます。
 このように、コミュニティは多種多様であり、人間が複数集まると、それはもうコミュニティが形成されるのです。
 コミュニティの特徴を、集団社会学の中心人物であるR.H.マッキーバーの論を借りて挙げますと、
  • コミュニティの中で共同生活がなされる(communal life)
  • 共属的態度もしくは共通の関心などの共同体感情がある(community sentiment)
  • 狭義・地方・地域的な性格である(locality)
となります。
 「生活」というのは衣食住教育もろもろのことですが、狭い範囲の場合、コミュニティにおいての活動と考えられます(マッキーバーは目的・理念などを元に活動するための人為的な集団を「アソシエーション」として分けていますが、ここでは「集団」の話をしたいために取り上げた程度ですので、まぜこぜにしてお話しています。ご了承ください。)
 「共同体感覚」というのは、そのコミュニティのルール(法律など含む)、マナー、言語や方言などを使うことにより、他のコミュニティとの区別化を図ることにより、そのコミュニティに入っているということを認識するのでしょう。
 「地域的」は言うに及ばず。ただし、地域というものは意味が可変的であり、たとえば県は村を考える場合はコミュニティの集合体となりますが、国から考えるとそれ自体がコミュニティとなるのです。
 今挙げたコミュニティの特徴は、全てそのコミュニティ内の特徴です。それでは、そのコミュニティから外れて、外部からそのコミュニティを見たら、どういう特徴があるのでしょうか?
 W.G.サムナーは、あるコミュニティを「内集団(我々)」とし、その他を「外集団(彼ら)」として区別していますが、どこから内集団でどこから外集団かといいますと、単に好き(内集団)嫌い(外集団)なのです。
 単に、問題は好き嫌いで起こるのか?
 実は、サムナーのお話には前提がありまして、サムナーはある集団のフォークウェイズ(集団の共有する慣習・習俗。共同体感覚とだいたい同じだが、その感覚の前提は所属する人間の欲求を満たすためである)が、モーレス(あらゆる社会の中で最も正しく、それに外れることが悪という認識。ちなみにラテン語でモラルの原型)となるとしておりますので、集団の好き嫌いもそこから来るのでしょう。
  つまりは、正しい(と思われる)慣習が合わないために嫌悪するのです。
  ちなみに、L・A・コーザーは嫌悪する外集団に対し、ルイス・A・コーザーは「闘争することは、内集団の一体性と境界線を設立し維持するのに役立つ」としています。そこから、何故問題が起こるのかイメージがつかめるでしょうか。外集団とされたものはどうやって争われるか。これはもっとイメージしやすいと思います。村八分にされたり、分かりやすく非難されたり、(肉体的・精神的・社会的)暴力をふるわれるなどですね。
  もちろん、他の集団に入っているからといって嫌悪されない例もあります。ただし、それは、大きな部類で「内集団」として理解されているから、とも考えられます。


 


 さて、このサイトはネチケットサイトであり、ネットにおけるマナーについて考えているわけですが、マナーがあるところコミュニティが必ずあります。実際、ネットにもいろいろなコミュニティがあります。たとえば、ポータルサイトを利用したコミュニティ(最近ですと、個人経営で非常に「せまい」ポータルサイトもあります)、Webリング・同盟・リンク集などで形成されたコミュニティ、あるサービス(掲示板、チャットなど、CGIその他の言語を使用して作られたサービス)を利用しているコミュニティ、あるサイトに集うコミュニティ、ある趣味・趣向・理念に集うコミュニティ(釣り専門サイトとか、技術者サイトとか、同人サイトとか)など。
 コミュニティの特徴を例を挙げて紹介すると、たとえばギャル系サイトのコミュニティは、大体ネットでも同世代で構成・学校が生活圏となり、ギャル語(⊇яёヵゞ≠〃ャ儿語τ〃£)を使用し、原色(特にピンク)の素材を利用します。もちろん、このような特徴を持つサイトはごく一部であり、そこから地域性も見て取れます。
 しかし、インターネットの理念を考えると、このネット・コミュニティは基本的にはありえないものです。だって、一定の情報を一まとめにして検索閲覧しやすい状態(クラスター化)にするのならともかく、コミュニティ化は外部と内部を作り上げ、外部に対して境界線を引いてしまい、情報がもれにくくなるばかりか闘争すらしてしまうのです。(もちろん、コミュニティ化は有利な場合もあります。人為的なクラスター化もさることながら、もともとコミュニティは各個人の欲求により形成されるのですから)
 ところが現実的には、インターネットにある情報のうち、ある情報が他のどの情報と「近い」かを決めるのは、検索サイトを見るにまだコンピューターには難しいでしょう。そもそも、検索サイトすら人為的に変更が加わっています。 ページを登録しないと検索されない、不適切な表現があったり要望があったサイトを検索できないようにする、ページを検索に引っかからないようにする、いわゆる「検索の最適化[SEO]」で情報量が少ないのに情報量が多いものと検索サイトに勘違いさせるなどです。
 これらはネット・コミュニティは、人間が使用しているために形成されているのです。




  ここからは私見ですが、議論はともかく闘争はネチケットに反すると考えています。理由は公の場で感情むきだしでケンカするのはみっともないから、なのですが(爆)
  それはともかくとして、先ほど内集団が外集団を嫌悪し、闘争となる理由を「自分たちにとって正しいと思っている慣習と外れるから」としました。
  では何故、正しい慣習から外れることが嫌悪の対象になるのでしょうか?そもそも、外部にも外部の習慣があるはず。それは正しくないのか?
  私は、ここに「嫌悪」の二つの原因を考えます。
内集団が外集団に対し無知・無関心である
未知のものが恐怖につながることはラブクラフト(クトゥルフ神話の作者)が述べていますし、恐怖の対象は排除につながります。外集団に関心を持たないことによって正しい内集団の秩序を守るというのがゴフマンの「儀礼的無関心」ですね。
内集団の外集団に対する優越感・差別感
根底にあるのは優れている者は子孫を残せるという本能部分の問題だと思いますし、内集団ではその優越感が「モーレス」となります。自分たちより劣っているものは、排斥する傾向があります。
  さて、この「嫌悪」をなくすにはどうすればいいのか?
  単純に考えれば、外集団のことも知り、外集団とない集団とに優劣がないと認めることなのでしょうが、そうそううまくいくとは思えません。
  何故なら、これら嫌悪が人間の本能の部分に深く関わりがあると思うからです。
  コミュニティ形成も、祖先である類人猿時代からすでにあったものだということは現在の猿の生態系から見ても明らかでしょうし、嫌悪自体も、それがなければ個人や集団を守ることが出来なくなるでしょう。
 



 一番初めのお話に戻ります。「インターネットは閲覧規制が可能であり、それを実行することもできる」としましたが、それを批判することは可能です。インターネットの理念を考えると、自由に情報を収集できないのはおかしいことですから。
 ただし、裏を返せばその批判自体も批判は可能だとも思います。憲法により情報の規制が可能な国もありますし、反対に規制がない国から自国の憲法に沿うために規制をかけるのも可能だと思います。そもそも、ローカルルールが外部から見て正しくないからという理由のみで批判されるのもおかしいのではないでしょうか?
 双方の主張を理解しあい、新たな結論を生むことは不可能なのでしょうか。  
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どーでもいいことですが、いわゆる「儀礼的無関心(?)」ですが、
当事者であるはずの我々同人者のほっとんどが知らないというのはどういうことでしょうか?
少なくとも500件ほど(3ジャンルほど)回った同人・裏サイト(爆)で
日記・掲示板などで触れていたのは1件ほどでしたが。
これは張られる方は意外と興味がないってこと?
黙って張ったら絶対怒るのに??
それとも私が回ったジャンルが悪かったのでしょうか???
これこそ、内部の外部に対する無関心かな。
それとも、当事者以外の立場で、内部に対する外部への優越感、かも。

参考資料
コミュニティについて調べていたら社会学荒らしをしてました(汗)
集団社会学入門様】
ネットコミュニティ・ビジネスとそのポータルサイトの研究たむたむ)様】
社会学概論5 集団様】
アメリカ社会学の起源について社会開発論)様】
国際理解教育埼玉の英語教育)様】
秩序のふたつの様相 ――当事者からみた―― Teruhito SAKO's Sociology)様】
民間療法事典池田 光穂)様】
社会学史池田心豪)様】
インターネット・ゴフマン講座筒井の社会学研究室)様】
1998-99 中央大学大学院文学研究科「社会心理学特講」社会的相互行為安川 一 研究室)様】

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